最近は葛湯が好きです

青春18切符の旅 4日目 

天気予報によると西日本は雨。城崎温泉に行こうと思っていたけれど台風のため予定を変更。せっかくなのであまり行く機会のないところまで行こうと、近畿地方巡りをすることにした。

泊まっていたホテルのある京橋駅から大阪駅へ移動する。せっかく大阪に来たので、まずはたこ焼きを目指すことに。スマホで検索しながら到着したお店はものすごい行列ができていた。再び近くを歩きながら探し、あるお店に到着した。兵庫のお店だった。頼んだのは、たこ焼きと明石焼きたこ焼きグラタンを一つずつ。お店のたこ焼きを作るところは透明なガラスに囲われていて、たこ焼きが出来ていく過程が見られるようになっていた。幼い頃、パン屋さんのクロワッサンが出来ていくのをじっと見ていたことを思い出す。最近はテレビでも工場のラインとかが番組に取り上げられていたりする。物が生まれていく過程には、何か特有の魅力があるのではないか。プログラミングとも似ているのかなと思った。

私たちよりも遅く来た人たちと同時に食べ終わり、JR大阪環状線内回りのホームへ向かう。ホームの案内をよく聞くと、途中で車両が前後に分断され、和歌山へ行く方と関西空港へ行く方に分かれるらしい。自分たちが並んでいた方がたまたま和歌山方面だったことにちょっと喜びながら、人ごみの中に紛れていく。

15:05頃、和歌山駅に到着。最後の方は、車内はゆったりとしていた。土砂降りの雨。外を歩くのを諦めて入った5階立ての駅ビルには、ブランド品やデパートコスメが売っていた。地元の方が出店しているお土産やさんをのぞき、ジェラートを食べて、みかんジュースを買って駅へ戻る。するとさっきはなかった人だかりが出来ていた。なんと電車が止まっている。どうやら私たちは台風とほぼ同時刻に和歌山に上陸したらしい。とりあえず電車はいつか動くということなので車内で待つことに。窓の桟で弾かれる雨を眺めながら待つこと数十分、ようやく出発した。その後も時々車内で運転見合わせを見守りながら、私たちは京都駅へ向かった。「運転見合わせ」という案内は、普段通学時間に耳にするときとは全く別の意味を持っていた。

夜、京都駅に到着。何を食べようか悩んでいたところ、友達がオススメの抹茶屋さん、中村藤吉を案内してくれた。茶そばと抹茶パフェをいただく。その子にとってのパフェの魅力の一つは、変化してしまうからこその 名残惜しさにあるらしい。中村藤吉のパフェは何度も食べたことのある味で、口へ運ぶたびに昔の思い出が思い出されると同時に、新しい思い出が重なっていくという。「食べ物って、食べ終わった時の気持ちが一番残るから、最初の一口が美味しくても最後にお腹いっぱいで辛かったら、辛い気持ちが残っちゃうんだって」とその子が言った。確かに思い返すと味よりも、誰とどんな風に食べたのか方が覚えている。私の場合はそば団子や手巻き寿司に特にイメージが付随している。

友達が手で持って帰ることを決めた家族へのお土産用の冷蔵保存の抹茶ケーキの位置と傾きを調整しながら、京都の街をガラガラという音とともに歩く。ホテルで明日の準備をしながら、会話は昔読んで印象に残っている物語の話になった。私には、小学生の時に読み、また読みたいけれどタイトルが分からず読めていない話がある。覚えている内容は、あやとりで蝶を作ったらそれがキラキラと飛んで行き、それが男の子の死を暗示しているものだった、という部分のみ。なんと友達もこの部分に引っ掛かりを感じたそうだったが、やはりタイトルにたどり着くことはできなかった。印象に残っているという点で共通していたのは、注文の多い料理店。幸せ円満ハッピーエンドよりも、少し不気味で不可解な話の方が、どこか引っかかるという意味で印象に残っているのかもしれない。

ただ、怖い話は映像だと本当に怖いから不気味なのは文字だけでいい。なぜなら映像を見ちゃうと頭の中で明確な映像になってしまって、自分の生活の中で想像出来ちゃうから。どれくらい、どんな風に想像するのかどうかは、読み手に任せるくらいが丁度良い。ブログの記事に写真を載せない理由も、これと少し似ている。

友達は、自分が本を読むのが好きなのは、時間を忘れるのが好きだからだといっていた。2時間くらい経ったと思ってパッと顔を上げたらまだ30分しか経ってない!っていう感覚、頭の中とページをめくる手の動きと実際の時間の流れがずれているのが好きなんだ、と彼女は彼女自身のことを分析する。集中すると30分しか経ってないと思ってたのに実際は2時間経っていた感覚になる、という話はよく聞くし自分もそう感じることがあったが、その反対(反対と言っていいのか分からないけど)は初めて聞いた。確かにそう考えると面白い。私が本を読むことが好きな理由はなんだろう。誰か別の人の人生を一緒に歩めること、自分の知らない視点で物事を見つめられること、かな。

その後も議論じゃなくて喧嘩になっちゃうのはなんでだろうとか、悪口と注意の違いってなんだろうとか、そういう話をずっとベットの中でお互い上を向きながら話をしていた。口に出して言語化すると、こういう自分の考え方の根本は、小学生〜中学生くらいで既に出来上がっていることに気づかされる。昔話をすると、お互い全然異なる小学校生活を過ごしていること、そして違うことを考えていることが分かる。それでも話していると心地よい。これって何かすごいことなんじゃないか。

ふっと会話が途切れて静かになる。目を開けると外はもう明るかった。