最近は葛湯が好きです

鑑賞

人と話していて、同じ音楽や舞台を鑑賞しても、感動するポイントが人によって違うよねという話になった。

そのポイントは幼少期から今まで培われてきたもの、浸っていた環境の影響が大きい。特に家。

 

例えば同じミュージカルを鑑賞するとき。

ジャズやクラシックの中で育ったその人たちは、あの盛り上がりでパパパパーンってなるパーカッションが...!ってなるらしい。音楽を耳にすると、歌詞だけでなく演奏の方に気持ちが入るそう。それは今まで聞いてきた音楽が、歌詞ではなく演奏がメインの曲だったから、無意識にそうなるんだろうって。私は行ったことがないけれど、コンサートで演奏される曲で6分間のギター演奏の中で最後少しだけハミングが入ったりするものもあるらしい。こういう音楽の中にいた人は、楽器を演奏する人が多い気がする。

一方JPOPなどのポップスの中にいた人は、ストーリーに重きを置いている人が多い気がする。作品について語るときは、物語の展開や解釈についてよく話す。言葉の多いポップスを聴いているうちにいつの間にかメロディに注目するようになっていたことに気がついた。

 

私は後者で、言葉の多い歌を聞いて育ってきた。ミュージカルでは演奏よりも歌に意識がいっていた。歌と言っても歌詞、声、マイク、間の取り方とか色々あるけれど。あと舞台装置とか照明とかも気になる。

洋楽も聞いていたけど、やっぱり歌が多かった。こういうのとか。

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だから前者のような人を、羨ましいと思ってしまう。自分にはそういう鑑賞がまだ、あまりできないから。でも、歌詞の多い曲の中で育ったことを悪だとは思っていない。だって、その環境だったからこそ、歌を聞いたり歌ったりすることを好きになることができたから。家では口ずさむとかそういうレベルではなく突然歌うこともある。そうすると似た意味を持った別の曲を被せてくる人がいる。最初に歌詞を覚えて歌った曲はなんだろう。幼稚園や小学校のときに聞いたり歌ったりした曲は今でも覚えている。 でもやっぱり前者の人の視点は羨ましいから今から聞いて身につけたい。

 

日本の音楽で、ジャズやクラシックと似てるものは何だろう。太鼓や三味線とかだろうか。言葉で語らない分、一人一人想像して浸る部分が多いのかな。余白みたいな。熱があって、目の前で奏者の人たちが作り上げていって、別々の場所から集まった人の心が一緒に動いていく。

記憶の中で言葉をのせない日本の音楽を初めてきちんと奏でたのは、小学校で踊ったエイサーだ。お歳暮のお菓子が入るような大きな缶を各々持ち寄って練習した。退場するときにかかっていた音楽が確か「島唄」で、その時に初めて「島唄」の歌詞をちゃんと聞いた。デイゴの花の怖さと曲の不気味さに何か惹かれ、絶対にこの曲名を聞いて後で調べたいと思って、退場の練習をしながら歌詞を覚えて家に帰ったことを覚えている。

デイゴの花が咲き 風を呼び 嵐が来た

デイゴが咲き乱れ 風邪を呼び 嵐が来た

繰り返す悲しみは 島渡る波のよう 

大学生になってお昼に家でゆっくりしていると、近くの小学校の運動会の練習の音が一緒に歌えるくらい聞こえてきて、むかし先生が「近所の人のご協力のもと成り立ってるんだよ」って言ってたのはこういうことかと思った。

卒業してから一度だけ母校の小学校の運動会に行った。そのときソーラン節を見て、なんか涙出てきた。音源はテープ。言葉は「ハッ」とか「ソーランソーラン」っていう掛け声だけ。明確なストーリーもない。だけど、何か熱くって。ものすごいエネルギーだった。