映画館のはしごとかしてみたかった

今日は映画を3作品観た。
こういうの、前からしてみたいって思ってた。
学校の授業をサボって映画館をはしごするとか、海に行っちゃうとか、そういうのやらなかったから、今取り戻してる感じかもしれない。

こういうの、文章に残すか迷った。
映画の感想って、残さなくてもまたもう一度同じものを見た時、同じことを思うのかなぁ。

でも初めて美女と野獣のアニメを見たとき、どんな風に見て感じたのか覚えてない。
だからちょっと書いてみる。

  

1作品目はモアナと伝説の海。

アナ雪はさやかちゃん〜〜って思ったけど、それとは違う意味でグッときた。

モアナが海に飛び出した後、後ろでブワッと黒いものが広がり、青く輝くエイが船の下まで来るシーン。
おばあちゃん〜〜〜って思った。
死というマイナスな印象を抱きやすい出来事なのに、何かすごく素敵な瞬間だった。

モアナの、周りの人の幸せを考えてもやもやする感じ。あの気持ち、難しいよね。
最後のテ・フィティは、ディズニーランドのフロートに出てきそう...。
英語版のサントラで聞いてたあの歌、モアナの子供の頃の歌かと思ったけど、違った。

「私、あなたのこと分かってないから、ちゃんと分かってないって言って。」
「でも、選ばれてここにいるのは私とあなただけだから、少しでも自然なままでいて欲しいというか。あなたのこと知りたいって思って」

いやもっと素敵なセリフだった。けど忘れちゃった。
モアナがマウイと向き合おうとしている姿と、その言葉選びが好き。

モアナの顔が、だんだん屋比久ちゃんに見えてきた。

 

2作品目は美女と野獣

モアナと客層が違う。劇場内は、ポップコーンからコーヒーまでいろんな匂いがする。
CMも違う。(特にポケモン。モアナの時の方が長かった。)
なんかこう…ターゲットの違いがそのまま目の前に現れていた。

エマ・ワトソンの歌い方が特徴的。修正が結構かかってるのかなぁと思ってしまった。(実際は調べてないので分からない)
ベルが変わり者だと歌うシーン、周りの人が止まってベルだけが動いているのが印象的。
キャストさんには白人さんと黒人さんがいる。(アジア人はいなかった…?)ルフゥがゲイ。こういうところがディズニーだなぁと。(ディズニー映画のキャラクタがゲイだと公表されたのは、これが初めてらしい。)

ご飯を食べるシーン、途中で野獣からベルの隣に来ちゃう。これは映画だけ。

雪の場面、アニメは鳥相手だったけど、映画は馬だった。
アニメでは鳥という小さすぎるものに対してどう触れるか悩む姿に、歌の歌詞(日本語訳)にある「繊細さ」が表現されてるのかなぁと思った。けど映画では自分と同じくらい、もしくは大きい動物相手に対して、どうやって触れたらいいか分からない、むしろ怯える野獣の姿が描かれていた。狙ってるのかな。

アニメではベルが野獣の顔面に小さな雪玉を当てるけど、映画では野獣がベルの顔面に大きな雪玉を当てちゃう。結構がっつり。
それで、ちょっと笑顔が生まれる。

お城から抜け出して街へ戻る時、ベルってあのドレスのままだっけ。
アニメと劇団四季、どうなってたっけ。

最後、花びらギリギリで助かるんじゃなくて、一回全部落ちて、みんなが骨董品になっちゃう。
そこでは、各々の大切な人との別れ方が描かれていた。
あの人、確かアニメには出てこなかったよね。

ガストンは、野獣との取っ組み合いの中では落ちていかなかった。
もっと、自業自得感が強かった。

 

3作品目はラ・ラ・ランド

こちらはお一人様も多め。夜だったこともあり、年齢層も高め。女性一人も多かった?のがちょっと意外だった。私もだけど。

サントラを聴いてからの映画館。
あ、このシーンなんだって思いながら観てた。

「この空最悪。他の男女だったら愛でるのにね。君といるのが勿体無い。」
「I hate Jazz。」
「明日は分からない。分からないから夢追い人が必要なの」

ジャズを嫌いという彼女に、ちゃんとジャズの説明をしてあげるのに驚いた。お姉さんと話していた時はジャズ嫌いな女は無理って言ってたから、嫌いって言った瞬間関係を切ってしまうのかと思った。
最後には、彼女はジャズが好きになったと言う。

途中のあのシーン。彼女は目で訴えてるのに、彼はあんまり顔に出さない感じ。
とうとう「私は今でも愛してる」と彼女から言う。
彼は「僕も愛してる」と言うけど、夢のためにか「今は様子を見よう」と言う。
周りの人とか将来とかお金とか、気にすることがいっぱいあるところが大人なのかなぁと思った。まぁ何が大人なのかよく分からないけど。

最後はこのえ?!この二人結ばれないの…?!ってちょっとびっくりした。

久しぶりに会った彼女の前でピアノを普段の仕事の時のように弾けなくなってるのは、彼女のことを思いすぎて、今でも思ってるからかなぁ。好きだから、気にしちゃうというか。そういうのかなぁって思った。

彼女がいなくなったら、まるでホッとしたかのように音を鳴らし、重ね始める。
彼女はそれを分かってたから、席を外したのだろうか。

最後の二人は見つめ合って、何を言っていたんだろう。何を思ってたんだろう。
幸せか、幸せじゃないか、とか、
そういうので言い切れない なにか。

シールの場所

エレベータのドアによく貼ってある「指を挟まないように注意!」のシールが、すごく高い位置にあった。

大学にあったから、利用者には大人しかいないからそうしたのかなって一瞬思ったけど、それにしても高すぎる。私にとっても高すぎる。

はる人が本当にそこに貼ったのか、それとも誰かがいたずらしたのか。

 

中学生の時乗ったバスでは、同じような注意のシールが椅子の変なところにあった。

剥がした跡があったので、確実に誰かのいたずらだと思う。

 

こういうのってみんなどう思うんだろう。気づくのかな。

アプリのUIとかフォントとかが変わると、(私の周りだけかもしれないけど)みんな話題にする。実際開発者さんのところにも意見がよく来るそう。良い時には何も言われないで、悪い時にはいっぱい言われるものらしい。

電車の広告の場所とか、ちょっとしたデザインの変化とか、きっと変わっても気づかれないんだろうなぁ。

知ってる人だけが知ってる世界。

私もそういうの気づけるようになりたい。

洗濯機

花粉が終わったかと思ったら、まだだった。
そういえばこの前の授業、マスクをつけている人が多かったような気がする。

 

家に新しい洗濯機が来た。垂直型の。
今までは斜めドラムで、その前は垂直のだった。

約15年も形の変わらない物。
電化製品ってそれってすごいんじゃないか。

テレビは薄くなった。
携帯はスマホになった。

でも洗濯機はそのままだ。

確かに、
体験を届ける電子レンジ(参考1, 2)や
カーブの角度を突き詰めたキレやすいハサミ(参考1, 2, 3, 4)など、
(リンクいっぱいつけたので、好きな番号をクリックしてください)

変わっているものもある。(ハサミは電化製品じゃないけれど)

だから、
もしかしたら洗濯機にも、目に見えないくらい小さいけれどすごい変化があるのかもしれない。
けれど、その恩恵を実感することはあまりできなかった。

 

斜めドラムの良くなかったところは、洗濯物を取り出しにくいところ。
取り出し口の丸いところでつっかかってしまうし、中に何が残っているのか分かりにくい。

良いところは乾燥が早いところらしいけど、私の家はその機能を使わない。
だから必要なかった。
目的に合ってなかった。

電子パネルが革命!って言ってる人もいたけれど、私たちにはあまりピンとこなかった。

 

革命ってなんだろう。

語源は「回転する」の意味を持つラテン語の「revolutio」。
何が革命で何が革命でないかの定義は、学者の間で議論が続いているらしい。

なんとなく、今までできないと思われていたことが出来るようになること、ではないと思う。

「技術が発達すれば出来るかな」とかそういう発想さえもできなかった、思いつかなかったことが、突然目の前に現れること、かなぁ。

今の私の中の「革命」は、そんな気がする。

新しい春のコート

新しいコートを買った。
生地はてろっとしてて柔らかい。体のラインにも合う。
丈は長めだけど重心は上。背の低い私でも綺麗に着れる。そんなコート。
洋服は、ブランドよりも色よりも、形。

このコートと出逢ったのは、地元の洋服屋さんだった。

 

地元にある、洋服屋さんが集まっている施設では、色んなお店が隣同士で並んでる。
高校 - 大学生女子をターゲットにしたお店の隣にあるのは、
主婦歴長めの方々をターゲットにしたお店。
いい意味でターゲットの差が見えにくい。
だから年齢や系統で壁を感じずに、色んなお店に入りやすい気がする。

新宿のルミネとかでは、年齢や値段でフロアが分かれてることが多い。
10-20代女子ターゲットのお店で埋め尽くされてるフロアもある。
そういうところにおばさまはいない。

でも、いろんな系統のお店が隣同士に並んでいれば、
そのお店が何のお店だか、いい意味でよく分からない。
自分は違うかな、などと壁を作る必要はない。

 

壁のないお店には親子はもちろん、いろんな人が集まる。
私は今日もまた、お店の横を通りながら家路についた。

夜は短し歩けよ乙女

1日の消費エネルギーのうち70%くらいは荷物の重さのためのものじゃないかなと思う。

雨の日だったらもっと。


夜は短し歩けよ乙女を読んだ。

私はこの本を読む前に、映画の予告ムービーを見ていた。
タイトルは覚えてなかったけど、絵と音とセリフは覚えてた。
だからもう一回調べて出てきたときに、あ、これか!ってなった。

予告の映像は、可愛いよりも少し不気味な印象だった。
ちょっとこれを思い出した。


アニメーション「就活狂想曲」

 あとディズニーランドのロジャーラビットのアトラクション。

img

(両方ともちょっと苦手...)
わざとなのかな。予告には「奇妙な」ともあるし。
音もちょっと怖いところあるよね。

この映像作家の中村佑介さんと湯浅政明さんのことが気になってくる。


本を読み始めたら、最初から音と映像がわぁーって飛び込んできて楽しかった。
本当に、テンポがそのまんま。
「ですます」と「だである」を、こうやって使い分けるんだね。
登場人物たちが、映画の声と姿で一斉に動き始めた。

そう思ってたら、本の最後で羽海野チカさんが私が感じたことと同じような感想を描いていて驚いた。

Wickedとか、舞台を見てから原作を読んだりすることは今までもあったけれど、こんなにも目で文字を追っている時に、映像と同じようにキャラクターが頭の中で動くのは初めてだったような気がする。


この本を読む前に、あんまりハッピーじゃない映画を見ていた。
最初、数学者の人の物語を見ようと思ったら怖そうだったので、選び直した作品。
夜一人でベットの上で、時々イヤホンを外しながら、手で画面を隠しながら見ていた。


映画を見終わった後、口から「きつ…」という言葉が出た。
自分でも驚いた。

人が苦しんでる姿を受けめるのは、精神的にも体力的にもすごくエネルギーが必要なのかもしれない。

こういう物語に触れるのは、久しぶりだった。 

夜は短し歩けよ乙女」から感じるものは、この映画とはまったく違った。
反対という言葉を使うと、どういう点で反対なのかよく分からなくなりそうなので使わないが、とにかく登場人物の感情の変化やそれに伴う自分の気持ちの変化が違った。

一人で見た映画の方は、嫉妬や憎悪の方の愛というか人間味が強かったけど、
この本の物語には、また別の意味の人間味があった。
もうキャラクターが愛おしかった。

映画ではどんな風に描かれてるんだろう。
きっとこの小説を読んだ監督や声優さんを始めとする多くの人の解釈が入ってる。
みんな何を思ってるんだろう。

 

「こうして出逢ったのも、何かの御縁。」

 

「出逢えたのも」じゃなくて「出逢ったのも」だった。

冬のインターン

冬に2回インターンシップに参加した.
両方とも同じ企業の,同じ会場でのインターンだった.
しかし私の中でその2つは,全く別の経験になった.


1回目は,とにかく何かすごい意見を言わなきゃと思ってた.
同じチームのメンバーは優秀そうな人だったし,変なこと言って馬鹿だって思われたくないって,弱いところがバレたくなくて,勝手に守りに入ってた.今振り返ると,すごくもったいないことしたなぁ…って思ってる.

2回目は,目の前にいるメンバーの中身を引っ張り出して,皆ことをもっと知りたいと思うのと同時に,メンバーにメンバーのいいところを伝えたいなぁ気づいて欲しいなぁと思ってた.
そうしたら,自然に言葉が出てきた.

1回目と2回目,
相手をあまり見ていない一方的な自分の意見言わなきゃ,と,
相手のことを知りたいし,伝えたい.の違いなのかな.
不思議.

2回目の時にはチームのメンバーからMVP賞をもらった.
それは,その個人的な思いと行動が,一方的なものじゃなくて,相手に伝わって,その人のためになれてたってことを示してくれたような気がして,嬉しかった.
実際に,その後みんなと話した時に「あ,伝わってる!すごい!!!」って思った.

この気持ちが特に印象に残っている理由は,最近別に自分普通のことしてるだけなのになんか評価してもらえちゃったなぁ…っていうのがあって,モヤモヤしていたからな気がする.


2回目は,1回目と違って優勝できなかった.
チームでの提案も満足するまで詰めることはできなかった.
でも自分がチームに貢献できた量は,1回目よりも大きかったんじゃないかなと思う.
インターンシップの反省は,1回目と2回目の後で大きく変わった.


印象に残っている言葉がある.それは「優勝」という言葉.
2回目の結果発表の後,「チームから絶対優勝しようっていう気持ちが伝わってこなかった」というフィードバックをいただいた.
ここでハッとした.
この言葉は1回目にももらった言葉だった.

結果は異なっていた1回目と2回目.しかし,同じ印象を抱かれていた.

2回目の時は,その印象を抱かれた場面として次の行動をあげられた.
- プレゼン資料を提出する,最後の最後まで粘ってなかったところ

1回目の時は,次の行動をあげられた.
- ギリギリになって企画を壊して立ち上げ直したところ
- 「優勝しようね」みたいなチームのみんなでの意思確認がなかったところ

どれが大きいかは分からないが,明確な違いは「チーム内での優勝の意思確認」の有無だ.

1回目は,意思確認をしなかった.だけど優勝した.
2回目は,意思確認をした.でも優勝しなかった.

2回目は最初にチームメンバーの1人が,「ちなみに,優勝目指すよね?」と言った.
私はもちろんもちろんと思った.メンバー全員,もちろん優勝したいと答えた.

意外にも,私は「優勝」を確認されたときに,びっくりしてしまった.

私の中で「優勝」は,達成すべき・達成したい目標であるのと同時に,当たり前のものだった.
走るときに毎回右足と左足を交互に出すことを意識しないのと同じように,意識していなかった.

でも確かに言語化したことで,「優勝」を共有できた.
二人三脚をするときに,歩くんじゃなくて走ろうねって,進むスピードを確認できた感じ.
だから,足が絡まって,チーム内でズレることはなかった.

後で他の人と話して思ったことだけど,きっと「優勝」を意識するというのにも2種類くらいある.
1つめは「優勝」が目的になっているパターン.
2つめはやりたいことと「優勝」の向きを揃えて,やりたいことを達成した結果「優勝」につながるパターン.
たぶん私は後者の方が好き.


そんなにインターンシップに行ったことがあるわけじゃないけれど,
このインターンシップはとってもよい経験になった.
素敵な人たちにもたくさん出会えた.
初めてこんな風に誰かと一緒に議論して追求したけど,すごく楽しかった.
自分はこういうときに楽しいって感じるんだなぁって分かった.

きっとこの就活のやり方と企業の選択が正解かどうかなんて,あと何十年も経たないと分からない.
けど,みんないい就職をしてほしいなぁって勝手に思ってる.

作曲とこころ

Mr.Childrenのコンサートに行ってきました。
そのメモです。
以下、桜井さんのお話の内容と私の言葉が混ざっています。


今年でデビュー25周年。この歳になると、「どうやって作曲してるんですか」ってよく聞かれる。
その時は、作曲って夢占いみたいなもの、って言っている。

夢って、あの夢を見ようと思って見るものではない。
歯が抜ける夢を見たら、もうすぐ誰かに死が訪れるとか、
追いかけられている夢を見たら、ストレスが溜まってるとか、
自分だけでは気づかなかったことを教えてくれることもある。

作曲も同じ。
これを伝えるための、このストーリーの歌を作りたいと思って作ってるんじゃない。
メロディーが先に浮かんできて、そこから感じるものを言葉にする。

作曲のプロセスは、3パターン。

1つめは、メロディから。
まずメロディが生まれる。そこに言葉がのっかる。

水上バス』はそのパターン。この曲は、よく「2番の後からがっかりする…」って言われる。笑
2番までは歌詞も幸せそうなのに、その後不穏な雰囲気になる。
確かに、こんな感じだもんね。そう言って、桜井さんはギター1本と声で、2番の最後から歌い始めた。

でもこれはね、不幸にしたかったんじゃない。
できるならハッピーエンドにしたかった。
でもしょうがないじゃん、このメロディーだったんだから!笑
もしハッピーエンドだったらこんな感じかな?と言って、再び桜井さんは歌い出す。たぶん即興作曲。みんなで聴き入る。

でもこのハッピーエンドのじゃなくて、
あのメロディーだから、あの歌詞になったんだ。


トークが始まったときから、舞台上には大きな蓄音機みたいなのがあった。
これは、CDプレイヤーらしい。
高かったらしい。15万円くらいだって。
ごめんね、生々しいこと言って、って桜井さんは言ってた。


2つめは、アレンジを先にするパターン。
アレンジをしてから、歌詞をつける。この時、歌詞にはみんなでアレンジをしていくプロセスものっかっていく。

サザンの『慕情』は、このパターン。これは裏を取って来たんだ、と嬉しそうに桜井さんは言っていた。
「水に投げた小石の跡が 止めどなく輪を広げ」という歌詞のときは、本当に水が広がっていくような音がする。
水の歌詞を書いて、後から水の音を入れたかと思うかもしれないけど、そうじゃない。
先にアレンジの時に音が入って、後から言葉がのっかったのだ。
あの蓄音機みたいな大きなCDプレイヤーを使って、大きなホールで、みんなに『慕情』を聞かせてくれた。
確かに、その音があった。

もう1つ、このパターンの曲がある。アルバムHOMEの11番、『SUNRISE』だ。
CDプレイヤーのCDを入れ替える。曲が流れてくる。
前奏は、太陽が屈折してゆらゆらしているような音。
桜井さんは、この前奏を聴いた瞬間に、タイトルをSUNRISEと決めたらしい。
みんなもこの光景が見えない?と、もう一度桜井さんは、私たちに聞かせてくれた。
ボタンを押し間違えて、違う曲にとんじゃって、会場のみんなで笑ったりもした。


3つめは、歌詞から生まれるパターン。
このパターンは、日常をそのまま切り取った歌に多いそう。
こういう歌には、派手なアレンジはいらない。
日常を切り取ったスナップ写真を飾るのに、金色の太い額縁がいらないのと同じように。

このパターンに当てはまるのは、これ。そう言って桜井さんは歌を歌い始めた。
「あたし中卒やからね仕事を もらわれへんのやと書いた 女の子も手紙の 文字はとがりながら震えている」
中島みゆきさんの『ファイト』。
桜井さんは、そのままギター1本と声で歌い続けた。

続けて、もう一曲歌った。その曲はミスチルの曲だった。でも、タイトルは忘れてしまった。

その曲を歌い終え、トークの時間は終わった。
これをトークと呼ぶのかよく分からないけど、とっても興味深い時間だった。


もう1つ、印象に残っている話がある。それは、新曲『こころ』を歌う前に話していた、心についての話だ。

最近、身近な人を何人か亡くしたそう。
でも、亡くしてもその人は心の中にいるよ、ってよく言う。
本当にそう思う。心でいつでも会えるから、その人のことを思えるから、あまり寂しいとは思わない。

じゃあ心ってどこにあるんだろう、って考えた。
それは、その人を思う思考回路そのものじゃないだろうか。

あの人、あの時あんな顔してたな。
もし今、この言葉をかけたらどんな顔するかな。
今度あれを渡したら、どんな風に思うかな。

何か・誰かを思う思考回路そのものが心だったら、
たくさん考えるほど、心が豊かになるってことだ。


この『こころ』という曲は、曲を聴く人のことを考えながら書いたそう。
どんな言葉だったら、どんな音だったら、どんな曲だったら、
どんな顔をして、何を考えて、どう感じるかなぁって考えながら。

この『こころ』という曲は、私たちへの心そのものだった。