青春18切符 4日目 

天気予報によると西日本は雨。城崎温泉に行こうと思っていたけれど台風のため予定を変更。せっかくなのであまり行く機会のないところまで行こうと、近畿地方巡りをすることにした。

泊まっていたホテルのある京橋駅から大阪駅へ移動する。せっかく大阪に来たので、まずはたこ焼きを目指すことに。スマホで検索しながら到着したお店はものすごい行列ができていた。再び近くを歩きながら探し、あるお店に到着した。兵庫のお店だった。頼んだのは、たこ焼きと明石焼き、たこ焼きグラタンを一つずつ。お店のたこ焼きを作るところは透明なガラスに囲われていて、たこ焼きが出来ていく過程が見られるようになっていた。幼い頃、パン屋さんのクロワッサンが出来ていくのをじっと見ていたことを思い出す。最近はテレビでも工場のラインとかが番組に取り上げられていたりする。物が生まれていく過程には、何か特有の魅力があるのではないか。プログラミングとも似ているのかなと思った。

私たちよりも遅く来た人たちと同時に食べ終わり、JR大阪環状線内回りのホームへ向かう。ホームの案内をよく聞くと、途中で車両が前後に分断され、和歌山へ行く方と関西空港へ行く方に分かれるらしい。自分たちが並んでいた方がたまたま和歌山方面だったことにちょっと喜びながら、人ごみの中に紛れていく。

15:05頃、和歌山駅に到着。最後の方は、車内はゆったりとしていた。土砂降りの雨。外を歩くのを諦めて入った5階立ての駅ビルには、ブランド品やデパートコスメが売っていた。地元の方が出店しているお土産やさんをのぞき、ジェラートを食べて、みかんジュースを買って駅へ戻る。するとさっきはなかった人だかりが出来ていた。なんと電車が止まっている。どうやら私たちは台風とほぼ同時刻に和歌山に上陸したらしい。とりあえず電車はいつか動くということなので車内で待つことに。窓の桟で弾かれる雨を眺めながら待つこと数十分、ようやく出発した。その後も時々車内で運転見合わせを見守りながら、私たちは京都駅へ向かった。「運転見合わせ」という案内は、普段通学時間に耳にするときとは全く別の意味を持っていた。

夜、京都駅に到着。何を食べようか悩んでいたところ、友達がオススメの抹茶屋さん、中村藤吉を案内してくれた。茶そばと抹茶パフェをいただく。その子にとってのパフェの魅力の一つは、変化してしまうからこその 名残惜しさにあるらしい。中村藤吉のパフェは何度も食べたことのある味で、口へ運ぶたびに昔の思い出が思い出されると同時に、新しい思い出が重なっていくという。「食べ物って、食べ終わった時の気持ちが一番残るから、最初の一口が美味しくても最後にお腹いっぱいで辛かったら、辛い気持ちが残っちゃうんだって」とその子が言った。確かに思い返すと味よりも、誰とどんな風に食べたのか方が覚えている。私の場合はそば団子や手巻き寿司に特にイメージが付随している。

友達が手で持って帰ることを決めた家族へのお土産用の冷蔵保存の抹茶ケーキの位置と傾きを調整しながら、京都の街をガラガラという音とともに歩く。ホテルで明日の準備をしながら、会話は昔読んで印象に残っている物語の話になった。私には、小学生の時に読み、また読みたいけれどタイトルが分からず読めていない話がある。覚えている内容は、あやとりで蝶を作ったらそれがキラキラと飛んで行き、それが男の子の死を暗示しているものだった、という部分のみ。なんと友達もこの部分に引っ掛かりを感じたそうだったが、やはりタイトルにたどり着くことはできなかった。印象に残っているという点で共通していたのは、注文の多い料理店。幸せ円満ハッピーエンドよりも、少し不気味で不可解な話の方が、どこか引っかかるという意味で印象に残っているのかもしれない。

ただ、怖い話は映像だと本当に怖いから不気味なのは文字だけでいい。なぜなら映像を見ちゃうと頭の中で明確な映像になってしまって、自分の生活の中で想像出来ちゃうから。どれくらい、どんな風に想像するのかどうかは、読み手に任せるくらいが丁度良い。ブログの記事に写真を載せない理由も、これと少し似ている。

友達は、自分が本を読むのが好きなのは、時間を忘れるのが好きだからだといっていた。2時間くらい経ったと思ってパッと顔を上げたらまだ30分しか経ってない!っていう感覚、頭の中とページをめくる手の動きと実際の時間の流れがずれているのが好きなんだ、と彼女は彼女自身のことを分析する。集中すると30分しか経ってないと思ってたのに実際は2時間経っていた感覚になる、という話はよく聞くし自分もそう感じることがあったが、その反対(反対と言っていいのか分からないけど)は初めて聞いた。確かにそう考えると面白い。私が本を読むことが好きな理由はなんだろう。誰か別の人の人生を一緒に歩めること、自分の知らない視点で物事を見つめられること、かな。

その後も議論じゃなくて喧嘩になっちゃうのはなんでだろうとか、悪口と注意の違いってなんだろうとか、そういう話をずっとベットの中でお互い上を向きながら話をしていた。口に出して言語化すると、こういう自分の考え方の根本は、小学生〜中学生くらいで既に出来上がっていることに気づかされる。昔話をすると、お互い全然異なる小学校生活を過ごしていること、そして違うことを考えていることが分かる。それでも話していると心地よい。これって何かすごいことなんじゃないか。

ふっと会話が途切れて静かになる。目を開けると外はもう明るかった。

18切符の旅 3日目

本日も見事晴れ。いつ台風とぶつかるんだろうと思いながら、まだぶつかってない。運がいい。

何度寝しただろうか。まだ友達を寝てる友達を起こすのは悪いから、と思いながらふと気がついたら9:30だった。きっとお互いに別々のタイミングで起こさないようにしていたような気がする。チェックアウトは10:00。慌ててフロントに10:30に変更できないか電話で頼み、隣の部屋の清掃の音を聞きながら急いで準備をする。昨夜とは違う担当の受付の方に挨拶をして、ホテルを出た。

はじめに尾鷲観光物産協会という施設へ向かう。そこで荷物を預かってもらえるらしい。駅前にある商店街の通りには、昨夜、輪郭の欠けた星型のライトがあるなと思っていたけれど、太陽の下で見るとそれらは流れ星だということが判明した。思っていたよりも欠けていた。ホテルから15分くらいじっとりと汗をかきながら歩く。尾鷲物産協会に着くと、丁度他のお客さんのお見送りをしていたおばさまがどうしたの〜って明るく声をかけてくださった。熊野古道に行く旨を伝えると、中へ迎えてくれた。中には職員の方が3人いた。熊野古道の入り口へ行くバスの時刻を調べると、丁度出発したところだと分かった。すると職員の方が、「じゃあ送っていきますよ」と。え、えええ?!?と、思わず二人で顔を合わせる。その大きすぎる優しさと距離の近さへの驚きだったのだと思う。他の観光物産協会がどんなか分からないけれど、近所の人や友達の車にも久しく乗っていない私にとっては驚きが大きかった。帽子とめはり寿司を購入し、入り口へ向かう。車の中では、熊野古道は涼しくて歩くと少し体が火照ってくる春になる前くらいの時期が混むということ、尾鷲が潮干狩りの穴場スポットでもあることなんかを話した。途中にはものすごく大きなダイソーや、スーパーがあった。商業施設が駅前じゃなくて、駅前から少し離れたところにできるタイプの街なんだ。みんな駅使わないのかな。

熊野古道の馬越峠の入り口の手前の休憩所に到着。最後の最後、入り口まで丁寧に教えていただき、もう感謝しかない。熊野古道へ入る前に、めはり寿司と一緒に買った他のお寿司を朝ごはん代わりに口に入れる。日焼け止めを塗り直して飲み物を買い、入り口へ向かった。尾鷲観光物産協会の方が貸してくださったタオルを農家のおばさまとかバイクの人みたいに目を避けて顔に巻いたら、吸った空気が全て柔軟剤の香りになってしまったので外した。前日の夜の雨で濡れた石は、ざらっとしながらもツヤのあり、サイや象の肌のように見えた。もしかしたら友達も同じことを思ってるかもしれないと思い思い切ってそれを友達に伝えたら、なんと共感してもらえた。この時なんか嬉しくて。一人じゃなくて誰かといる楽しさって、こういうことなのかな。

季節は夏。熊野古道の森は黄緑でも緑でもなく、青緑。水辺のせいか下からの風が涼しくて気持ちい。足元には時々キノコが生えている。一面に広がる落ち葉は綺麗だけど、一面に広がるキノコにはおびただしいという言葉が似合ってしまう不気味さがある。なんでだろう。どの国の、文化の人もそうなのかな。360度から聞こえてくるセミの音は、森をより立体的に感じさせてくれる。大体の場所で水の音が聞こえる。時々川から離れ音がほとんどしない場所に来ると、突然周りに誰もいなくなったかのように静かな空間になる。歩き進めてまた水の音が聞こえてくると、なんだか安心する。広い森に一人じゃないと感じさせてくれるのかな。前に聞いた無音の中に45分いると人は発狂してしまうという話を思い出した。

すれ違った人の中には、本気で山を歩く格好をしたおじさま方から、可愛い服を着た若い観光客、熊よけの鈴をつけてビーサンで登る慣れた人までいろんな人がいた。私たちは中間くらい。途中滑ったり、蜂に驚いてダッシュしたりしながら、無事に下山できた。まっすぐ歩き観光物産協会へ戻る。この時まだ今日泊まる宿を決めていなかった。「これからどこに行くの?」「兵庫らへんです〜」なんて会話をしながらやっと泊まる宿を予約し、最後にアメちゃんをもらい、溢れるお礼を一旦言葉で伝えてその観光物産協会を後にした。

 

尾鷲駅から大阪駅へ向かう。あっという間に日が沈み、気付いたら外は暗くなっていた。高速道路の街灯は赤。確か白よりも赤の方が眩しくない、明るく感じないんだよね。だからかな。東海道本線から関西本線?に変わったら、駅の看板が新しくなった。東海道本線の駅看板の方がレトロっぽくて可愛かった。なぜかレトロなフォントの方が可愛いと思う率が高い気がする。その時間の乗客のほとんどは男の人だった。名古屋あたりで18切符を持って一人で乗っている女性や、松阪で同い年くらいの女子三人組に会ったが、数えられてしまうほど少ない。あ、でも通勤時間も電車の中には男の人の方が多いか。なんだろう。女の人はどこにいるんだろう。

あるところまで来ると乗降する人はいなくなってくる。車両にいるメンバーは30分前と同じ。自分の席の反対側の端っこや、向かい側の席など、7人がけの席に2, 3人くらいずつ人が座っている。各々時刻表を眺めたりスマホをいじったりしている。静かだ。きっとみんな青春18切符とか電車好きとか共通点があるって気がついてるはず、なのに静かで。お互いに言わなくても分かっているような、それぞれこの空気を楽しんでるような、でもどこかお互い無視してるような。そんな感じがした。朝の通勤列車で誰も話さないのとは違う空気。振り返ればここと同じように自ら口を開く人はいないが、ここにある静けさや温かさは、ない。もしも「青春18切符の旅ですよね?私たちもなんです!」なんて話しかけたら、みんなで一緒に話すことになったら、どんな風になるんだろう。なんて想像しながら、結局話しかけられないまま、電車はゆっくりと進んでいった。あ、もしかしたら今分岐点だったかも。

静けさの中、途中で高校生の男女が乗ってきた。会話の有無に関係なく存在として彼らはあの電車の中では異質で、でもなんとなく空気に別の温かさが加わったような気がした。彼らはいくつか後の駅で降り、再び私達だけの車内に戻った。たしか京都の九条駅で、一気に人が入ってきた。多分飲み会帰りでこれから家に帰る人だ。家とは別の場所へ向かう私たちとは明らかに違う。電車ごと誰かの生活の中に入るような。新幹線で街から街へ移動するのとはまたちがう。空間が変わる瞬間だった。

 

京橋駅に到着。人の多さと街の明るさに驚くことを初めて体験した気がする。ホテルに着いてコードブルーを見ながら洗濯機で服を洗う。友達と一緒にテレビを見るのってなんか新鮮。一人暮らしの人の方がテレビとかPCで映画とか見る率が高い気がする。一人でいるとき音がないと寂しいよね。乾燥機に服を移す。だけど時間が経っても経っても乾かない。3往復ぐらいした。熊野古道できっと体も疲れてるから早く寝ようね、なんて言ってたのに結局深夜になってしまった。でも楽しいから、それでいいの。

青春18切符の旅 2日目

朝起きたらすごい雨の音。残念だなと思いながら準備をしていたらセミの鳴き声が。外を見たら雨が止んでいた。セミって晴れてるときしか鳴かないのだろうか。ゲストハウスの荷物置き場は、大きな襖の中。襖は片手では開かなかった。古い家だったので両手で持って平行にしたまま上に浮かせて動かさなきゃ開かないタイプかなと思って頑張っていたら、襖の前にあったソファーを前にずらしただけですんなりと開いた。大きなリュックを宿に置き、私たちは伊勢神宮へ向かった。

 

伊勢神宮の手前には色々なお店があって。砂利と見せかけて割れた陶器敷くお店。青く透き通りながらぎゅっとした密度と自然な濃淡とムラのある陶器。看板に垂直に生けられたお花。展示物のように飾られ、壁の模様になっていたお豆。ふと前を向きなおすと、目の前の女の人が包丁屋さんの中にすっと入った。お店の中心にあった木の棒を引き抜き、店員さんに話しかけている。あの木の棒はなんだろうとお店の中を覗くと、「占」という文字が見えた。「神話占合」だった。聞くと、引き抜いた木の棒の先にはひらがなが書いてあり、その文字から始まる古事記の一部にまつわるお言葉をもらえるというものらしい。面白そうだったので引いてみた。私が引いたのは「と」。『炎も誰かを助けるために使うこともできれば誰かを傷つけることもできる。あなたの才能も、使い方をよく考えてふるまいなさい。』みたいな内容だった。神社で引くおみくじの番号はすぐに忘れてしまうけれど、ひらがなは覚えていた。 

時刻はもう11:30伊勢神宮の手前に伊勢うどんのお店を見つけたので入る。普通の暖かい伊勢うどんを注文。太くてふわふわした麺に濃いめの汁。1時間くらい茹で続けるものらしい。一緒に旅行に行った子は福岡出身で、福岡のうどんも太めらしいけど、こんなに太くはないって言ってた。テレビの前にいたおじいちゃんに食べ方のアドバイスをいただきながら美味しくいただいた。あのおじいちゃんは、きっとずっと通ってる地元の方なんだろうなぁ。

 

伊勢市駅から近い下宮に到着。特に看板もなく普通に立っているあの大きな木の樹齢は900年。あるものは生まれて亡くなって生まれて、またあるものは作られて壊されてまた新しく買い直されてと繰り返している間に、この木は一人で太く成長し続けていたと考えるとなんかすごいことのような気がする。そんなことを考えながら歩いていると、雨が降ってきた。小雨だったので最初は傘をさしていなかったけれど、強くなってきたので傘をさした。するとより近くで雨の音が聞こえる。音は、雨をより意識させた。その後出会った多分一番大きな木は、この雨のせいかツヤがもうすごくて、何かを通り越してディズニーランドのスプラッシュマウンテンの近くにある作り物の木のようだった。角度を変えると七色に光っているように見えた。タマムシみたいに。

バスに乗って下宮から内宮へ。内宮の方が人が多い。神社には珍しい下宮は左側通行だけど、内宮は右側通行。この話で盛り上がったことがあるけれど、またそれは次の投稿で。赤福本店でかき氷を注文。夏祭りの屋台以外でかき氷を食べたことがあまりなくて、もしかしたら人生で一番高いかき氷だったかもしれない。抹茶が美味しかった。 

内宮から少し歩いたところにあるおかげ横丁は、鎌倉の小町通りを思い出させる。観光客が多く、インスタのハッシュタグを指定してるお店まであった。お店ののれんやロゴには、レトロなものから現代っぽいのまであって可愛い。いっぱい写真を撮りたくなる。

 

本日の移動は、尾鷲駅まで。明日熊野古道を歩くから。はじめは(確か)亀山駅で乗り換えてそこで駅弁を買おうと思ったけど、路線図を見たらその一つ奥に松阪駅があることに気がついた。そう、お肉で有名な。調べたらそっちの方が駅弁が美味しそうだったので松阪駅まで行って戻ることにした。そう、「松阪」って、「まつさか」って読むんだって。ずっと「まつざか」だと思ってた。電車は事故か何かが原因で遅延していた。この日にちょうど尾鷲駅で花火大会があることを知ったけど、それに間に合うためには別料金を払って特急に乗らなきゃいけなくて。悩んで悩んで、やめてしまった。ホームで駅弁を開いて食べていた時、目の前にどこで打ち上げられているのか分からない花火が上がった。きれいだね、なんて言いながらご飯を食べていたら、何かが友達の顔にぶつかってきた。バッタだった。もっと驚いた。バッタってそうやって飛ぶものなのか、それとも斜めにしか飛べなくなってしまったバッタだったのか。

真っ暗な景色の中揺られながら、やっと尾鷲駅に到着した。ちょうど花火大会が終わった頃だったのに、駅の周りは伊勢市駅よりもずっと暗い。歩道と車道が混ざってるような道を歩きながら、「これは自分の子供には門限6時にするね」なんて話した。いつコインランドリーで洗濯しようかと話していたら、福岡ではゴミ出しは夜やるものなんだということが発覚した。朝が当たり前だと思ってた。

 

青春18切符の旅 1日目

大学生が終わるまでに、あと何がしたい?っていう話を一ヶ月ちょっと前にした。その時に18切符で旅行がしたいっていう話になって、そこで初めて会った子と二人で旅行することが決まった。偶然最寄り駅が近くだった。それから3回くらい会って計画を立ててついに当日。始発で集合して、西の方に向かった。

 

沼津で休憩。朝ごはんを食べた。ここで降りる時にはもう学生さんや会社員の方と一緒。最初は歩いて行き着いたお店にしようと思っていたけど、なかなかお店がなくて次の電車の時間も迫ってきたから調べてカフェに入った。そこには小倉トーストが売っていた。小倉トーストって名古屋の食べ物かと思ってたけど、静岡にもあるんだね。お昼ごはんを名古屋で食べようって話していたので、食べ比べちゃう?とか言いながら小倉トーストのセットを注文。抹茶ホイップラテっていう甘そうなやつと、トーストとバターと小倉。急いで食べて、駅へ向かった。

名古屋駅に着いたら何を食べようか、とか、今日の宿はどこにしようか、とか話していたらあっという間に名古屋駅に到着。改札を出たら美味しそうなきしめん屋さんと出会った。朝は小倉トーストって言っていたけど、きしめんをみたらそっちが食べたくなっちゃって。ちょっと混んでいたから他のお店にしようかなと思ったけど、回転率が良さそうだったので並んだ。予想通りすぐ入れた。あったかい名古屋コーチンが乗ったきしめんと、冷たい名古屋味噌でジャージャー麺みたいにして食べるきしめんを注文して、二人でわけわけして食べた。ジャージャー麺みたいなやつを上からすくって食べていたらお店の方に「もっと下からかき混ぜて!」とアドバイスをいただいた。

JRの快速みえに乗っていたら、途中でお金を払うことに。快速みえの一部区間はJRではないらしく、そこの510円を払った。前によく電車に乗る友達が言ってたのはこのことだったのか。ちゃんと理解してなかった、ごめんね。領収証の模様は、よくあるパターン模様だった。

伊勢市駅に到着。改札口を出たら、目の前は伊勢神宮への道。泊まるゲストハウスに行く。案内されたのは2階のお部屋。鍵は壁側にある棒を扉の輪に引っ掛けるタイプ。きっと外からでも下敷きとかで下からヒュって引っ掛ければ開けられるやつ。窓の鍵はネジをくるくる差し込むタイプ。外を見ると「阪神タイガーズの家」と書かれた木の看板が立てかけられた玄関があった。なんだったんだろうあれは。到着した時はもう夕方だったので、もらった手書きのお店ガイドを見ながら晩ご飯のお店を選んだ。ラブリーサマーちゃんの『私の好きなもの』にある蟹のお雑炊のフレーズを口ずさみながら、海老のお雑炊を食べに行った。

ご飯から帰ってきたら、もう夜だった。時間はあっという間で、急いで徒歩10分くらいのスーパー銭湯に向かった。いや、そんなに急いでなかったかもしれない。お風呂までの道はとても暗くて、なんでこんなに暗いんだろうと思った。家の作りが昔で玄関にライトがないからか。街灯も車も少ない。マンションも、1階あたり2部屋くらいしか電気が付いてない。人が入ってないのか、みんな寝ちゃったのか。一人だったら絶対こんなところ歩かない、ね、と言いながら二人で歩いた。スーパー銭湯には駐車場に車がいっぱい止まっていて、通ってきた道のどこよりも明るくなっていた。

銭湯の帰りに、ローソンに寄った。ゲストハウスに帰る途中、門限があることと「鍵の暗証番号はこれね」と渡された紙を持ってき忘れたことに気がついた。一瞬どうしようかと悩んだけれど、二人の曖昧な記憶をたどりながら開けられた。よかった。

今日何度開いたか分からないくらい開いた天気のページをまた開く。電車の時間、明日の宿のことを調べていたらあっという間に夜中。コンビニで買ったマスクをつけて、朝起きたらマスクがどっかいってるんじゃないかって心配しながら眠りについた。

鑑賞

人と話していて、同じ音楽や舞台を鑑賞しても、感動するポイントが人によって違うよねという話になった。

そのポイントは幼少期から今まで培われてきたもの、浸っていた環境の影響が大きい。特に家。

 

例えば同じミュージカルを鑑賞するとき。

ジャズやクラシックの中で育ったその人たちは、あの盛り上がりでパパパパーンってなるパーカッションが...!ってなるらしい。音楽を耳にすると、歌詞だけでなく演奏の方に気持ちが入るそう。それは今まで聞いてきた音楽が、歌詞ではなく演奏がメインの曲だったから、無意識にそうなるんだろうって。私は行ったことがないけれど、コンサートで演奏される曲で6分間のギター演奏の中で最後少しだけハミングが入ったりするものもあるらしい。こういう音楽の中にいた人は、楽器を演奏する人が多い気がする。

一方JPOPなどのポップスの中にいた人は、ストーリーに重きを置いている人が多い気がする。作品について語るときは、物語の展開や解釈についてよく話す。言葉の多いポップスを聴いているうちにいつの間にかメロディに注目するようになっていたことに気がついた。

 

私は後者で、言葉の多い歌を聞いて育ってきた。ミュージカルでは演奏よりも歌に意識がいっていた。歌と言っても歌詞、声、マイク、間の取り方とか色々あるけれど。あと舞台装置とか照明とかも気になる。

洋楽も聞いていたけど、やっぱり歌が多かった。こういうのとか。

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だから前者のような人を、羨ましいと思ってしまう。自分にはそういう鑑賞がまだ、あまりできないから。でも、歌詞の多い曲の中で育ったことを悪だとは思っていない。だって、その環境だったからこそ、歌を聞いたり歌ったりすることを好きになることができたから。家では口ずさむとかそういうレベルではなく突然歌うこともある。そうすると似た意味を持った別の曲を被せてくる人がいる。最初に歌詞を覚えて歌った曲はなんだろう。幼稚園や小学校のときに聞いたり歌ったりした曲は今でも覚えている。 でもやっぱり前者の人の視点は羨ましいから今から聞いて身につけたい。

 

日本の音楽で、ジャズやクラシックと似てるものは何だろう。太鼓や三味線とかだろうか。言葉で語らない分、一人一人想像して浸る部分が多いのかな。余白みたいな。熱があって、目の前で奏者の人たちが作り上げていって、別々の場所から集まった人の心が一緒に動いていく。

記憶の中で言葉をのせない日本の音楽を初めてきちんと奏でたのは、小学校で踊ったエイサーだ。お歳暮のお菓子が入るような大きな缶を各々持ち寄って練習した。退場するときにかかっていた音楽が確か「島唄」で、その時に初めて「島唄」の歌詞をちゃんと聞いた。デイゴの花の怖さと曲の不気味さに何か惹かれ、絶対にこの曲名を聞いて後で調べたいと思って、退場の練習をしながら歌詞を覚えて家に帰ったことを覚えている。

デイゴの花が咲き 風を呼び 嵐が来た

デイゴが咲き乱れ 風邪を呼び 嵐が来た

繰り返す悲しみは 島渡る波のよう 

大学生になってお昼に家でゆっくりしていると、近くの小学校の運動会の練習の音が一緒に歌えるくらい聞こえてきて、むかし先生が「近所の人のご協力のもと成り立ってるんだよ」って言ってたのはこういうことかと思った。

卒業してから一度だけ母校の小学校の運動会に行った。そのときソーラン節を見て、なんか涙出てきた。音源はテープ。言葉は「ハッ」とか「ソーランソーラン」っていう掛け声だけ。明確なストーリーもない。だけど、何か熱くって。ものすごいエネルギーだった。

着物の展示会に

行ってきた。

着物だけでなく、職人さんや作家さんが直接販売していて、お話も聞ける場。 

 

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木版図案を用いて描かれた着物と帯。

古書と検索したら1、2番目に出てくるような姿をした厚みのある本があり、これは貴重な財産だから、と言いながらその中の図案(?)を見せてくれた。

中でもアール・ヌーヴォーの木版図案と、そこから生まれた帯がもう。

 

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たんぽぽ柄の帯。

なんとふわふわの部分は、和紙。
隣には同じように作られたうさぎ柄も。

 


誰かへの思いが込められた帯結び
古典や現代アートの要素を持つ生地や柄
身につけられるという実用性の高さ

着物は、壁にかかっている絵画とも、足を運ぶ舞台とも、観光名所としてよく扱われる建築物とも違う

芸術だった。 

 

 

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帰りにパン屋さんに寄って、ずっと話をしていた。

豆乳のストローは引き出すタイプじゃなくて最初から曲がってるタイプだった。

 

選んだクイニーアマンは、木のお盆の上にのって出てきた。

お皿ではなくクッキングシートがひかれている。油はシートを超えて下にしみていた。でも、もしもこのシートが油を全部はじいてしまったら、油ギッシュになってパンは不快な感じになっちゃうんだろうね、って友達と話しながら食べた。

 

話している時間はあっという間で、気がついたら夜だった。
私は門限を気にして、時計を時々見ていた。
友達はたぶん時計を見ずに話していた。
もう20:30だね、と私が言うと、友達はすごく驚いていた。

おしまい。

人間失格

人間失格』を読んだ。『恥の多い生涯を送って来ました。』という一文しか、今まで知らなかった。はしがきから始まり、最後のあとがきを読んだところで、なるほど。と一周つながった。

 

私は、その男の写真を三葉、見たことがある

はしがきでは第三者が写真で見た、ある一人の男の子・男性について語っている。男の子は写真の中で拳を固く握り、一から十まで造り物のような笑顔を浮かべている。

この姿から、あ、きっと自分と違う部分の多い人だと思った。(もしかしたら、自分で自分に気がついてないだけかもしれないけど。)『夜は短し歩けよ乙女』では、共感したり、こうなりたいなと思ったりする部分が多かったから余計に。

 

自分は子供の頃、絵本で地下鉄道というものを見て、これもやはり実利的な必要から案打せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗った方が風変わりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。
寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛け布団のカヴァをつくづくつまらない装飾だと思い、それが案外に実用品だったことを、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。

はしがきが終わり、その拳を固く握っていた葉蔵の視点から描かれた第一の手記が始まる。まずこの想像力に惹かれた。私は大学生になって初めてデザインや物作りに触れて、ものの実利的な意味を知って、日常に溶け込んでいるのにそんな目的があったのかと、単純な形に見えるのに裏でそんな緻密な計算がされていたのかと驚いた。そしてその意味を知るのが面白くなった。けど彼は違う。それを知って悲しくなったんだ。この引用部分以外にいくつか描写がある。彼はこういう自分の頭の中の話、周りの人としなかったのかな。話せなかったのかな。私はもっと聞きたい。

またもう一つ、これに似た遊戯を当時、自分は発明していました。それは対義語(アントニム)の当てっこでした。黒のアント(アントニムの略)は、白。けれども、白のアントは、赤。赤のアントは、黒。

この遊戯の発明は、子供の頃からのあの実利的でない想像と繋がっている気がする。

白のアントは赤、っていう言葉で、好きの反対はなんだろうって考えてたことを思い出した。好きの反対は無関心じゃないかと思ったけど、そうするとじゃあ嫌いの反対は、ってなる。納得する答えにはまだ辿り着いていないけれど、友達と話したところ一旦こんな風に分解された。

好き:ポジティブ, 関心がある。
無関心:?, 関心がない。
嫌い:ネガティブ, 関心がある。

数直線に並ぶ1, 0, -1みたいなイメージ。ポジティブとネガティブが方向で、関心が大きさ。でもそうすると反対っていう関係じゃなくなってしまうかもしれない。って思ってたけど、アントニム当てっこをする彼らを見て、こういうのも捉え方の一つとしてはありなのかなと思った。

「悪。罪のアントニムは、なんだろう。これは、むずかしいぞ。」
(中略)
「冗談はよそうよ。しかし、善は悪のアントだ。罪のアントではない。
「悪と罪は違うのかい?」
「違う、と思う。善悪の概念は人間が作ったものだ。人間が勝手に作った道徳の言葉だ」

アントニム当てっこの中で、上のやり取りがされる。善悪の概念は人間が作ったってことは、罪はなんなのだろうか。キリスト教の主の祈りには、次のような箇所がある。『わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。』罪と悪、両方出てくる。悪ってなんだろう。 

いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、廢人という刻印を額に打たれることでしょう。
人間、失格。
もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。

葉蔵は麻薬中毒になり、病院に入れられる。人間で無くなりましたと言ってるのに、廢人。人という漢字を含む言葉が選ばれている。やっぱり人でいたいのか、それとも人をやめさせてはもらえないのか。どう捉えたとしても、「世間」のいう「人」に縛られてる気がする。この時の「世間」は「自分」だろうか。きっとどこかでこうでなきゃいけない、というのがあるのだろう。

ここへ来たのは初夏の頃で、鉄の格子の窓から病院の庭の小さい池に赤い睡蓮の花が咲いているのが見えましたが、それから三つき経ち、庭にコスモスが咲きはじめ、

病院に入れられたあとのこの場面では、自然に目が向けられている。人間以外のものを意識する余裕が出てきたように見える。あのジアールを飲んだ時の自分の愚かなうわごとが、まことに奇妙に実現したからだろうか。

そういえば子供の頃に物の実利的な面を知り興が覚めてから、人を怖がり、人に愛と信頼を求めるばかりだった。ここでやっと、風景や五感に触れる描写が今まで少なかったことに気がついた。もう物語は終わりを迎えそうである。

思いがけなく故郷の兄が、ヒラメを連れて自分を引き取りにやって来て、(中略)れいの生真面目な緊張したような口調で言うのでした。
故郷の山河が眼前に見えるような気がして来て、自分は幽かにうなずきました。
まさに廢人。

 病院を出て改めて「廢人」という。社会復帰、という方向ではない。病院の中の狂人の中にいるより、檻の外の狂人じゃない人たちの世界にいる方が、廢人ということを意識させられるのだろうか。

 

パビナール(薬物)中毒にかかりり、(中略)奇矯な行動が多くなったことを心配した、先輩、友人たちが、中毒をなおすため、強引に病院に入院させたのだが、このことは太宰に想像を絶する創劇を与えたのだ。今まで自己の主観的真実、正義、倫理、芸術のため行って来た苦闘が、世間からは単なる狂人の言動として見られていたという衝撃、(中略)もう何も信じることができなくなる。

この『人間失格』は、太宰治自身の人生が大きく反映されているとも言われている。解説には、彼について上のようなに書いてあった。そっか、一見不可解に見える行動は、こんな意味があったのか。『〜芸術のために行って来た』と聞くと、実利的に聞こえるのは、私の思い違いだろうか。

 

そういえば、最近芥川賞を受賞している作家さんたちは
テレビで活躍したり
コンビニでアルバイトしたりしている。

その姿だけ切り取ると
それは「世間」が思う「人間」に
よく当てはまっているように見えた。